ツリー構造の限界 ― なぜZettelkastenはリゾームを志向するのか
はじめに：「ツリー」という便利な道具とその限界
私たちは物事を考えるとき、無意識に「ツリー構造」というモデルを使っている。組織図やフォルダ階層のように、1つの根から枝分かれさせていく整理方法は、ごちゃごちゃした情報をスッキリさせるのにとても便利だ。Obsidianでノートを取り始めるときも、多くの人がまずこのツリー構造で整理しようとする。
しかし、この方法は本当にベストなのだろうか。複雑な現実を理解し、新しいアイデアを生み出すには、ツリー構造だけでは不十分かもしれない。そこで登場するのが、哲学者ドゥルーズとガタリが提唱した「リゾーム」という考え方だ。
この記事では、なぜツリー構造に限界があるのか、そしてなぜZettelkasten、特にObsidianが「リゾーム」を目指すのかを、わかりやすく解説する。
1. 現実にはたった1つの「根」はない
ツリー構造は、必ず「ルートフォルダ」のような、ただ1つの「根」を持つ。しかし、現実の世界の物事に、絶対的な根っこは存在しない。
例えば、「現代社会の孤独」についてノートを作るとする。これを「経済」や「テクノロジー」といった1つのフォルダに入れるのは、あまり意味がない。なぜなら、孤独という問題は、経済、SNS、家族観など、無数の要素が原因になったり結果になったりしながら、複雑に絡み合っているからだ。1つの箱に押し込めた瞬間に、その複雑さは失われてしまう。
リゾーム的なノートの取り方では、ノートを1つの場所に「分類」しない。代わりに、複数の文脈へと自由に「リンク」させる。そうすることで、現実世界の複雑な姿を、そのまま自分の知識ベースに映し取ろうとするのだ。
2. 現実は上から下への「階層」ではない
ツリー構造は、親から子へ、上から下への一方通行の階層が基本だ。Obsidianの親子リンクもその一種と言える。しかし、現実の世界や知識のつながりは、決して一方通行ではない。
例えば、会社組織では、組織図の上では経営陣がトップだ。しかし、現場の一社員の報告（子ノート）が、会社全体の理念（親ノート）をひっくり返すきっかけになることはよくある。これは、下から上への「ボトムアップ」の力だ。
Zettelkastenでも同じことが起きる。ふとしたメモ（子ノート）が、今まで常識だと思っていた大きな概念（親ノート）を覆し、知識全体をアップデートさせることがある。固定的な階層は、こうした創造的な「下剋上」の邪魔になる。現実は、あらゆる方向に線が伸びる、双方向のつながりに満ちている。
3. 現実は「違うもの同士」がつながって生まれる
ツリー構造は、似たもの同士を同じ枝に集める。リンゴの木にブドウはならない。しかし、歴史的なイノベーションは、全く関係ないと思われていた「違うもの同士」が、偶然つながることで生まれてきた。これこそ、Obsidianの「友達リンク」が持つ大きな力だ。
スマートフォンの誕生が良い例だ。あれは「電話」という木の新しい枝として生まれたのではない。「電話」「PC」「カメラ」「音楽プレイヤー」という、本来は別々の木だったものが、突如つながって生まれたリゾーム的な産物だ。
これは私たちの思考でも同じである。「生物学のノート」と「マーケティングのノート」が「共生」というキーワードでつながった時、新しいビジネスのアイデアが生まれるかもしれない。リゾーム的なネットワークを育てるということは、こうした「偶然の出会い」をただ待つのではなく、分野を横断するリンクを積極的に張ることで、偶然が起きやすい環境を自分で作ることなのだ。
4. 現実は止まっておらず、常に変化する
ツリー構造は、一度作ると固定化されやすい。しかし、私たちの知識や考えは、常に変化し、成長し続ける「庭」のようなものだ。
友人関係を「親友」「友人」と分類しても、その関係は明日には変わるかもしれない。ノートの関係性も同じで、新しい発見ひとつで、昨日までのつながりが全く違う意味を持つことがある。
Zettelkastenは、完成された「保管庫」ではない。ノートを追加し、リンクをつなぎ変えるたびに、ネットワーク全体が姿を変え、新しい思考を生み出していく、生きているシステムなのだ。ノートに「完成」はなく、常に書き換えられるのを待っている。
結論：静的な「地図」から、思考が育つ「庭」へ
つまり、ツリー構造とは「完成された静的な地図」のようなものだ。目的地を知るには便利だが、地図そのものは現実の土地ではない。
私たちが向き合う現実、そして育てるべき知識とは、むしろ「常に変化し続ける、複雑な生態系（庭）」だ。そこでは、アイデアという獣が走り回り、リンクという菌類が地下にネットワークを広げ、予期せぬ洞察という植物が芽を出す。単純化された地図では、これを捉えることはできない。
だから、ObsidianでZettelkastenを実践するときの問いは、「このノートをどこに分類すべきか？」ではなく、「このノートは何を思い出させ、何とつながるか？」に変わる。これは、世界を無理やり「整理」するのをやめ、その複雑さを複雑なまま受け入れるという、大きな態度の転換なのだ。
思考のコンパスでリゾームを育てる
では、具体的にどうすればリゾーム的なつながり、特に「友達リンク」を見つけられるのか。そのヒントとなるのが「思考のコンパス」だ。これは、論理的な思考（ツリー）と創造的な思考（リゾーム）を、意図的に引き出す仕組みである。
縦の軸（北-南）：ツリーを育てる思考
- 北（上流/起源）：ノートの「親」を探す行為だ。物事の前提や背景をたどり、階層をさかのぼる。
- 南（下流/具体化）：ノートの「子」を生み出す行為だ。アイデアを具体例に落とし込み、階層をくだる。
この縦の軸は、知識を構造化し、深く掘り下げるためのツリー的な思考に対応する。
横の軸（西-東）：リゾームを広げる思考
- 西（強化/拡張）：これこそが「友達リンク」を見つけるための問いだ。「似た事例は？」「他の分野で応用できないか？」と考えることで、分野を横断し、予期せぬつながりを発見する。
- 東（変革/発展）：「他との違いは？」「どう進化できるか？」と考えることで、既存の枠組みから抜け出す新しい道を探る。
この横の軸は、知識を水平に広げ、新しいアイデアを生み出すリゾーム的な思考に対応する。
「友達リンクをどう結びつけるか？」という問いに悩んだとき、このコンパスの「西」と「東」へと思考を巡らせることが、具体的な道しるべとなる。